2007.04.30 Monday
金子寿徳氏の追悼イベント、やってまいりました・・・。
久々に新宿のスタジオJAMに行って来ました。
このスタジオJAMなるライブハウス、実は我がAUTO−MODのドラマーだった浜ちゃんがPAとして働いていた小屋で、我がAUTOーMOD自身はLOFTがメインだったのでそれほどライブはした事がなかったんですが、練習スタジオとして良く利用していて、当時まだ世間を騒がす前のGISMを見たのもここだったし、アレルギーで歌う宙也やブレーク前のBUCK−TICKの連中を初めて見かけたのもこのJAMスタジオでしたね!!
練習に来るたび、色んなバンドを見て、結構楽しかったもんですよ!!
その後JAMの事務所にたむろして、結構好き勝手に使ってましたね。
そんな古巣のJAMスタに数年ぶりに訪れるのに、こんなに緊張する事になるとは思っても居ませんでしたね。
今回のJAMスタ出演は、金子寿徳と言って、昔僕とバンドをやっていた奴の追悼イベント。
この金子氏、僕とはkokugaisoと言うバンドをやってて、なんと僕はドラムを叩き、金子氏はベースをと言うたった2人の即興演奏バンドでした。
当時僕はWORST NOISE DANCE TO DEATH と言うバンドを工藤冬里氏と組んでおり、kokugaisoは即興の為のサイドバンドって感じだったかな。
元々WORST NOISE DANCE TO DEATH と言うのは1977年頃まだ幼き僕が鳥居ガクと言う怪しげな音楽評論家と結成した、日本最古に属するPUNKバンドが母体。
最初のメンバーは、鳥居ガクと僕にガクの連れてきたギターの何とかさん(名前忘れました)、そしてベースに僕がよく行ってたロク喫茶で知り合った女子美のエッちゃん、ドラムは僕の小学、中学の同級生宮本章君が叩いてくれて(笑)、ほんと最低のバンドでしたけどね(笑)。
音は普通のロックだったかな・・、忘れちゃいました(笑)。
その後、ギターの何とかさん、そしてエッちゃんと宮本君はデビューステージ1回きりで脱退。
ギターの何とかさんの友人の日置憂がベースとして加参加。
その後、確か川田良がドラムやるとか言って入ってきたんじゃないかな・・。
川田良と言う当時最凶の酒乱を加入させたことでこのバンドWORST NOISE の運命は一転、この川田良、常に陰謀を巡らすような奴で、まず鳥居ガクを追放、事実上のリーダーとなり、良がどこからか連れてきた工藤冬里と言う少年と、マーチンと言うロックンロールドラマーと、日置憂の五人で活動を開始したんですが、この川田良がマーチンそして日置憂を誘いさっさと脱退、コウと言う、マーチンのなじみのロックンロールヴォーカリストの4人でロックンロールPUNKバンドSEXを結成。
この期間って半年もなかったんじゃないかな(笑)。
残されたヴォーカルの僕と工藤冬里の2人で何となく続けたWORST NOISE 、まあキーボードとヴォーカルの2人だけのバンドなんで、僕も弾けもしないギター持って、とにかくNO
NEWYORK的サイケ・アバンギャルドサウンドに変って行き、バンドの名前もWORST NOISE改めWORST NOISE DANCE TO DEATH として活動を続行。
当時の僕らの活動の拠点はマイナーと言う吉祥寺のフリースペース。
基本的にアバンギャルドが主流の場所でしたね。
いや、中々腐ってましたね。
とにかく即興演奏がメイン。
ここでよくいろんな奴とセッションを繰り広げたものです。
金子氏とのKokugaisoもそんなセッションバンドの一つでした。
その後僕は、後のノンバンドのノンちゃんの大人の色気に惑わされWORST NOISE DANCE TO DEATHを脱退2人でMARIA023を結成(笑)、アバンギャルドの世界からは遠ざかる事となり、再びPUNKの世界で動き始めました。
まあ僕もアングラの帝王みたいな事言われてますが、アヴァンギャルドの世界はもっと深い、ほんと深い深い闇の中みたいな世界で。
金子寿徳氏も工藤冬里氏もこの深い闇の世界でずっと音楽を続けた方で。
その業績は海外でも高い評価を受け、いまや日本のアヴァンギャルドの重鎮となられた方です。
そんな金子氏も今年の一月二十四日には亡くなり、今日はその金子氏の追悼ライブとして工藤冬里氏とのWORST NOISE DANCE TO DEATH を30年ぶりに復活。
そんな訳で、今日は長く離れていた、アバンギャルドフリークスたちが集う深き深き闇を訪れる事となりまた。
過去に人の目玉を抉り出す(勿論義眼)、自らの手にオイルをかけ炎上、血だらけになって転げまわるなど、相当気違いじみたパフォーマンスの数々を目の当たりし(AUTO−MODがやったんじゃありませんよ・・・笑)、ちょっとやそっとでは動じる事もなくなったうちのスタッフ陣も今回は、いつも自分達が居る世界よりとんでもない世界に来ちまったと敏感に察知し、そのDEEPな世界に幾分こわばった表情を見せている。
それは僕も同じ事、今更のような僕の登場など・・・・、と思うとやはり恐いものがある。
しかし演奏前、会場前で久々に会った工藤冬里氏の昔のままのシャイな少年のような顔を見て、気分は30年前に直ぐ帰れましたね。
変んないな、アイツ!!
しかし実際会場に入ると、その雰囲気たるや、30年前の比ではないもっとDEEPなものを感じましたね。
会場満杯でしたよ!!
アバンギャルドのコンサートにこんなに人が入ってるの初めて見た(絶句)。
なんかアバンギャルドフリークスたちがかもし出す、30年のやばさと言うか・・・。
取り会えず、時間があったので、近くの飲み屋で一杯、帰ってくると、どうやら来なかった出演者が居たらしく、出番は次との事(慌てた)。
慌ただしくセッティング、今日はギター一本で、ギターシンセの音と普通のギターの音を同時に出してやってみるつもりだったが、マーシャルにギターを繋ぎ、ギターシンセの音を低音をベースアンプから出して、高音はPAにラインで直に繋ぎ音を出すつもりが、ラインからの音が出ない、これじゃギターもぶっとい音だし、その上ギターシンセの低音だけが強調され、キレのある音、ギターシンセの輪郭が出てこない・・・(涙)。
PAのお兄ちゃんは、もう疲れちゃってるみたいで、もう何とかしようと言う気力ゼロ・・・・(怒り)。
これならギターだけの方が良かったなと思ったり・・・。
その上PAは最低、最後は歌っているのにヴォーカル切られていたみたいだな・・・(呆れた)。
今のJAMスタ、こんなのでいいのかな・・・・。
普通だったら俺殴っちゃうよ!!
なんか、どうしようかなと困ってるうちに15分終わってしまいました(涙)。
やろうと思ってた事の3分の一も出来ませんでした・・・。
インプロビゼーションをなめたらいけません。
やっぱ、付け焼刃じゃダメですね・・・(反省)。
しかし工藤冬里氏の感性はやっぱり凄いですね!!
改めてビックリしました。
なんか、これで最後なんて勿体なくて、悲しくなっちゃいました・・・。
一曲五分は短いな、もっとやってたかったな・・・・・。
出来る事ならちゃんとしたWORST NOISE DANCE TO DEATH もう一度だけやってみたい気がしましたね。
しかし、今日金子がベース弾いてたらもっと面白かったろうな。
なんか今日は、自分のふがいなさに消沈し、逃げるように帰って来てしまいました。
しかし今日のお客さん達、恐ろしかったけど、暖かく迎えてくださり、ほんとにありがたかったです。
今日仕切った、裏窓の福岡さん、金子氏の奥さんのミックさん、そして工藤冬里君、そして参加者の皆さん、ほんとにお疲れ様でした。
いい体験をさせていただきました。
改めて、金子氏の御冥福お祈り申し上げます!!
安らかにお休み下さい!!
合掌
久々に新宿のスタジオJAMに行って来ました。
このスタジオJAMなるライブハウス、実は我がAUTO−MODのドラマーだった浜ちゃんがPAとして働いていた小屋で、我がAUTOーMOD自身はLOFTがメインだったのでそれほどライブはした事がなかったんですが、練習スタジオとして良く利用していて、当時まだ世間を騒がす前のGISMを見たのもここだったし、アレルギーで歌う宙也やブレーク前のBUCK−TICKの連中を初めて見かけたのもこのJAMスタジオでしたね!!
練習に来るたび、色んなバンドを見て、結構楽しかったもんですよ!!
その後JAMの事務所にたむろして、結構好き勝手に使ってましたね。
そんな古巣のJAMスタに数年ぶりに訪れるのに、こんなに緊張する事になるとは思っても居ませんでしたね。
今回のJAMスタ出演は、金子寿徳と言って、昔僕とバンドをやっていた奴の追悼イベント。
この金子氏、僕とはkokugaisoと言うバンドをやってて、なんと僕はドラムを叩き、金子氏はベースをと言うたった2人の即興演奏バンドでした。
当時僕はWORST NOISE DANCE TO DEATH と言うバンドを工藤冬里氏と組んでおり、kokugaisoは即興の為のサイドバンドって感じだったかな。
元々WORST NOISE DANCE TO DEATH と言うのは1977年頃まだ幼き僕が鳥居ガクと言う怪しげな音楽評論家と結成した、日本最古に属するPUNKバンドが母体。
最初のメンバーは、鳥居ガクと僕にガクの連れてきたギターの何とかさん(名前忘れました)、そしてベースに僕がよく行ってたロク喫茶で知り合った女子美のエッちゃん、ドラムは僕の小学、中学の同級生宮本章君が叩いてくれて(笑)、ほんと最低のバンドでしたけどね(笑)。
音は普通のロックだったかな・・、忘れちゃいました(笑)。
その後、ギターの何とかさん、そしてエッちゃんと宮本君はデビューステージ1回きりで脱退。
ギターの何とかさんの友人の日置憂がベースとして加参加。
その後、確か川田良がドラムやるとか言って入ってきたんじゃないかな・・。
川田良と言う当時最凶の酒乱を加入させたことでこのバンドWORST NOISE の運命は一転、この川田良、常に陰謀を巡らすような奴で、まず鳥居ガクを追放、事実上のリーダーとなり、良がどこからか連れてきた工藤冬里と言う少年と、マーチンと言うロックンロールドラマーと、日置憂の五人で活動を開始したんですが、この川田良がマーチンそして日置憂を誘いさっさと脱退、コウと言う、マーチンのなじみのロックンロールヴォーカリストの4人でロックンロールPUNKバンドSEXを結成。
この期間って半年もなかったんじゃないかな(笑)。
残されたヴォーカルの僕と工藤冬里の2人で何となく続けたWORST NOISE 、まあキーボードとヴォーカルの2人だけのバンドなんで、僕も弾けもしないギター持って、とにかくNO
NEWYORK的サイケ・アバンギャルドサウンドに変って行き、バンドの名前もWORST NOISE改めWORST NOISE DANCE TO DEATH として活動を続行。
当時の僕らの活動の拠点はマイナーと言う吉祥寺のフリースペース。
基本的にアバンギャルドが主流の場所でしたね。
いや、中々腐ってましたね。
とにかく即興演奏がメイン。
ここでよくいろんな奴とセッションを繰り広げたものです。
金子氏とのKokugaisoもそんなセッションバンドの一つでした。
その後僕は、後のノンバンドのノンちゃんの大人の色気に惑わされWORST NOISE DANCE TO DEATHを脱退2人でMARIA023を結成(笑)、アバンギャルドの世界からは遠ざかる事となり、再びPUNKの世界で動き始めました。
まあ僕もアングラの帝王みたいな事言われてますが、アヴァンギャルドの世界はもっと深い、ほんと深い深い闇の中みたいな世界で。
金子寿徳氏も工藤冬里氏もこの深い闇の世界でずっと音楽を続けた方で。
その業績は海外でも高い評価を受け、いまや日本のアヴァンギャルドの重鎮となられた方です。
そんな金子氏も今年の一月二十四日には亡くなり、今日はその金子氏の追悼ライブとして工藤冬里氏とのWORST NOISE DANCE TO DEATH を30年ぶりに復活。
そんな訳で、今日は長く離れていた、アバンギャルドフリークスたちが集う深き深き闇を訪れる事となりまた。
過去に人の目玉を抉り出す(勿論義眼)、自らの手にオイルをかけ炎上、血だらけになって転げまわるなど、相当気違いじみたパフォーマンスの数々を目の当たりし(AUTO−MODがやったんじゃありませんよ・・・笑)、ちょっとやそっとでは動じる事もなくなったうちのスタッフ陣も今回は、いつも自分達が居る世界よりとんでもない世界に来ちまったと敏感に察知し、そのDEEPな世界に幾分こわばった表情を見せている。
それは僕も同じ事、今更のような僕の登場など・・・・、と思うとやはり恐いものがある。
しかし演奏前、会場前で久々に会った工藤冬里氏の昔のままのシャイな少年のような顔を見て、気分は30年前に直ぐ帰れましたね。
変んないな、アイツ!!
しかし実際会場に入ると、その雰囲気たるや、30年前の比ではないもっとDEEPなものを感じましたね。
会場満杯でしたよ!!
アバンギャルドのコンサートにこんなに人が入ってるの初めて見た(絶句)。
なんかアバンギャルドフリークスたちがかもし出す、30年のやばさと言うか・・・。
取り会えず、時間があったので、近くの飲み屋で一杯、帰ってくると、どうやら来なかった出演者が居たらしく、出番は次との事(慌てた)。
慌ただしくセッティング、今日はギター一本で、ギターシンセの音と普通のギターの音を同時に出してやってみるつもりだったが、マーシャルにギターを繋ぎ、ギターシンセの音を低音をベースアンプから出して、高音はPAにラインで直に繋ぎ音を出すつもりが、ラインからの音が出ない、これじゃギターもぶっとい音だし、その上ギターシンセの低音だけが強調され、キレのある音、ギターシンセの輪郭が出てこない・・・(涙)。
PAのお兄ちゃんは、もう疲れちゃってるみたいで、もう何とかしようと言う気力ゼロ・・・・(怒り)。
これならギターだけの方が良かったなと思ったり・・・。
その上PAは最低、最後は歌っているのにヴォーカル切られていたみたいだな・・・(呆れた)。
今のJAMスタ、こんなのでいいのかな・・・・。
普通だったら俺殴っちゃうよ!!
なんか、どうしようかなと困ってるうちに15分終わってしまいました(涙)。
やろうと思ってた事の3分の一も出来ませんでした・・・。
インプロビゼーションをなめたらいけません。
やっぱ、付け焼刃じゃダメですね・・・(反省)。
しかし工藤冬里氏の感性はやっぱり凄いですね!!
改めてビックリしました。
なんか、これで最後なんて勿体なくて、悲しくなっちゃいました・・・。
一曲五分は短いな、もっとやってたかったな・・・・・。
出来る事ならちゃんとしたWORST NOISE DANCE TO DEATH もう一度だけやってみたい気がしましたね。
しかし、今日金子がベース弾いてたらもっと面白かったろうな。
なんか今日は、自分のふがいなさに消沈し、逃げるように帰って来てしまいました。
しかし今日のお客さん達、恐ろしかったけど、暖かく迎えてくださり、ほんとにありがたかったです。
今日仕切った、裏窓の福岡さん、金子氏の奥さんのミックさん、そして工藤冬里君、そして参加者の皆さん、ほんとにお疲れ様でした。
いい体験をさせていただきました。
改めて、金子氏の御冥福お祈り申し上げます!!
安らかにお休み下さい!!
合掌