2008.08.20 Wednesday
あまり、オリンピックだからといって、そうそうテレビの前に陣取って、
「日本頑張れ!!」と熱烈応援をおくるタイプではなく、ニュースで結果を見て、「へー」と頷く程度の僕ですが、浜口京子だけは応援しちゃいましたね。
元々女子プロレスラーになりたいと言った浜口京子、その娘に基礎はアマレスだとそそのかしアマレスを叩き込んだアニマル浜口、そして14歳から始めたアマレス。
ところがそのアマレス、始めて4〜5年程度で全日本選手権・世界選手権等にてガンガン優勝。
当時山本美憂と共に日本に女子レスリング人気の土台を作る立役者となっていきました。
やっぱり血筋なんでしょうね(笑)!!
実際当時は強かった。
1997年 世界選手権75kg級優勝
1998年 世界選手権75kg級優勝
1999年 世界選手権75kg級優勝
2002年 世界選手権72kg級優勝
2003年 世界選手権72kg級優勝、
と五回の世界大会で優勝。
輝かし実績を重ね、2004年のアテネオリンピックに女子レスリング72kg級の日本代表として出場した浜口京子。
しかしここから浜口京子のいばらの道が始まったんですよね………。
事もあろうにオリンピックの場で疑惑の裁定、ありゃ素人が見ても怒りだす代物。
当然アニマル浜口猛抗議!!
しかし結局順位は3位………。
結局、強く成りすぎた日本の女子レスリングへの面当てを浜口京子が一身に浴びる形となってしまった、まさにレスリング連盟から的にされた嫌がらせ………。
その後2006年の世界選手権女子72kg級決勝で、スタンカ・ズラテバ(ブルガリア)のバッティング(頭突き)を顔面に受け負傷。ズラテバにはペナルティが課せられないまま試合は続行。浜口は敗戦し。
これアマチュアスボーツじゃありえないでしょう!
浜口の負傷は全治4ヶ月の鼻骨骨折。
そして 2007年5月にビシケクで行われたアジア選手権72kg級では優勝するも、同年9月に世界レスリング選手権2回戦で、因縁となるズラテバと対戦。今度は技の掛け合いでズラテバにのみポイントが加算されるという信じられない事態が発生。当然の如くのアニマル浜口の猛抗議にもビデオチェックは行われず試合は続行、結果はズラテバの勝利。
普通ならマジぐれるでしょう(笑)。
やってられねえとなるのが普通でしょう!!
しかし、そこでくじけなかったのが浜口京子。
これ並大抵な事じゃありませんよ。
何せいつも、対戦相手とレスリング連盟を相手に戦ってるんだから、ルールもヘッタクレもない状態での戦い、こんな絶望的状況、そうないですよ………。
しかし、浜口京子選手はそれでも北京オリンピックに出てきたんですよ!
年齢ももう30歳?、はっきり言ってピークは過ぎてます。
それでも全力で戦った浜口京子、結果は銅、三位に終わった浜口京子。
とても素敵笑顔でした、年齢的にも限界の挑戦だったと思います。
最後のオリンピックにマジな闘いが出来た嬉しさに満ち溢れてましたね。
試合後、彼女がフェンスを乗り越えて、観客席の母親にだきついてましたね。
なんか目頭熱くなっちゃいましたよ(笑)。
しかし、山本美憂もそうですが、もう一大会早く女子レスリングがオリンピックの種目になっていたら又女子レスリングの歴史が変わってたかもしれませんね。
まあ、彼女達は早過ぎたのかもしれせん。
これだけはしょうがないですよね……。
でも彼女達の存在がどれだけ日本の女子レスリングに必要だったかはみんな知っています。
アニマルの親父がロンドンなんてほざいてますが、浜口京子選手ほんとにお疲れ様でした!!
あなたは、素晴らしい感動を与えてくれました!!
これからは、もっともっと自分自身の人生を楽しんで下さい!!
もう、あの親父の言うままに生きて行かなくても良いじゃないですか(笑)!!
とにかくあなたは、僕に勇気を分けてくれました。
浜口京子選手ほんとにお疲れ様でした、これからは人生の金メダル取り続けて下さいね!!
「日本頑張れ!!」と熱烈応援をおくるタイプではなく、ニュースで結果を見て、「へー」と頷く程度の僕ですが、浜口京子だけは応援しちゃいましたね。
元々女子プロレスラーになりたいと言った浜口京子、その娘に基礎はアマレスだとそそのかしアマレスを叩き込んだアニマル浜口、そして14歳から始めたアマレス。
ところがそのアマレス、始めて4〜5年程度で全日本選手権・世界選手権等にてガンガン優勝。
当時山本美憂と共に日本に女子レスリング人気の土台を作る立役者となっていきました。
やっぱり血筋なんでしょうね(笑)!!
実際当時は強かった。
1997年 世界選手権75kg級優勝
1998年 世界選手権75kg級優勝
1999年 世界選手権75kg級優勝
2002年 世界選手権72kg級優勝
2003年 世界選手権72kg級優勝、
と五回の世界大会で優勝。
輝かし実績を重ね、2004年のアテネオリンピックに女子レスリング72kg級の日本代表として出場した浜口京子。
しかしここから浜口京子のいばらの道が始まったんですよね………。
事もあろうにオリンピックの場で疑惑の裁定、ありゃ素人が見ても怒りだす代物。
当然アニマル浜口猛抗議!!
しかし結局順位は3位………。
結局、強く成りすぎた日本の女子レスリングへの面当てを浜口京子が一身に浴びる形となってしまった、まさにレスリング連盟から的にされた嫌がらせ………。
その後2006年の世界選手権女子72kg級決勝で、スタンカ・ズラテバ(ブルガリア)のバッティング(頭突き)を顔面に受け負傷。ズラテバにはペナルティが課せられないまま試合は続行。浜口は敗戦し。
これアマチュアスボーツじゃありえないでしょう!
浜口の負傷は全治4ヶ月の鼻骨骨折。
そして 2007年5月にビシケクで行われたアジア選手権72kg級では優勝するも、同年9月に世界レスリング選手権2回戦で、因縁となるズラテバと対戦。今度は技の掛け合いでズラテバにのみポイントが加算されるという信じられない事態が発生。当然の如くのアニマル浜口の猛抗議にもビデオチェックは行われず試合は続行、結果はズラテバの勝利。
普通ならマジぐれるでしょう(笑)。
やってられねえとなるのが普通でしょう!!
しかし、そこでくじけなかったのが浜口京子。
これ並大抵な事じゃありませんよ。
何せいつも、対戦相手とレスリング連盟を相手に戦ってるんだから、ルールもヘッタクレもない状態での戦い、こんな絶望的状況、そうないですよ………。
しかし、浜口京子選手はそれでも北京オリンピックに出てきたんですよ!
年齢ももう30歳?、はっきり言ってピークは過ぎてます。
それでも全力で戦った浜口京子、結果は銅、三位に終わった浜口京子。
とても素敵笑顔でした、年齢的にも限界の挑戦だったと思います。
最後のオリンピックにマジな闘いが出来た嬉しさに満ち溢れてましたね。
試合後、彼女がフェンスを乗り越えて、観客席の母親にだきついてましたね。
なんか目頭熱くなっちゃいましたよ(笑)。
しかし、山本美憂もそうですが、もう一大会早く女子レスリングがオリンピックの種目になっていたら又女子レスリングの歴史が変わってたかもしれませんね。
まあ、彼女達は早過ぎたのかもしれせん。
これだけはしょうがないですよね……。
でも彼女達の存在がどれだけ日本の女子レスリングに必要だったかはみんな知っています。
アニマルの親父がロンドンなんてほざいてますが、浜口京子選手ほんとにお疲れ様でした!!
あなたは、素晴らしい感動を与えてくれました!!
これからは、もっともっと自分自身の人生を楽しんで下さい!!
もう、あの親父の言うままに生きて行かなくても良いじゃないですか(笑)!!
とにかくあなたは、僕に勇気を分けてくれました。
浜口京子選手ほんとにお疲れ様でした、これからは人生の金メダル取り続けて下さいね!!
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