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ROCK LOVES ME FORVER
第一章
田舎街の変わった子


今でこそロックミュージシャン、ボーカルリストとして長き生涯をおくるTと楽器の出会いは、幼稚園の年長の時に遡る。

彼が最初に手にした楽器は鍵盤楽器、オルガンとピアノであった。

オルガンと言ってもそれはエレクトーンとかビクトロンとかの電子オルガンの類ではなく、小学校の音楽室に置いてあるような、なんの変哲もないただのオルガンであった。

Tの通っていた幼稚園では、ヤマハ音楽教室のフランチャイズとしてオルガンやピアノの教室をやっていて、初めての習い事に対する好奇心、そして音楽好きな祖母に進められるまま、通い始めただけの事だった。

ましてや、この時点に於いて特にTが自ら音楽に興味を示したと言うような話しでは無かった。


Tにとって初めての音楽体験となるこの教室は、別にピアニストを育てる英才教育を施すような場所では無く、単なる街の音楽教室だったので、ピアノではなく、まずは一様に皆オルガンから始める事が常だった。

小学一年迄オルガンをやって、その後ピアノに進むと言うのが子供達のお決まりのコース。


なんでも最初は首を突っ込みたがるTは、当然やりたいと言って大騒ぎして始めた。

自分でも音楽好きな祖母は電子オルガンではないが、カワイの最新式の電気オルガンを買い与え、一年もしないうちに、ピアノに買い替えた。

この時点で祖母はTにそのままピアノに進ますつもりだったのだろう。

何故か祖母はヤマハを嫌っていた。
教室の勧誘にも関わらず、わざわざカワイ楽器の製品を買う祖母の意図は解らないが、教室としては余り面白く無かった事は容易に想像しうる事であった。


この教室で子供達に音楽を教えていたのが、前回に述べたTに執拗にヒステリックに当たっていた園長の娘だった事もあり、程なくTはオルガン教室が大嫌いになった。

これ以後Tは人に何かを教わるのが大の苦手となり、反抗的な態度が生まれるようにもなった。


折角ピアノ迄買い与えた祖母の期待をよそに、Tはこの二年間のオルガン教室の後しばらくは、自ら鍵盤に向かう事は無くなった。


こんな楽器との最初の出会いであったが、Tは適度にこの一音階、黒鍵五つ、白鍵七つから成る、平気で6オクターブを超える鍵盤楽器が気に入っていた。


Tは楽譜を読まなくても、一度二度聞いた音楽はほとんど弾けた。

それがTにとって後年困った問題を引き起こす事となるのだが、それは後ほど語る事となるであろう。


お陰でTは楽譜を全く見ようとせず、それが教室のヒステリック教師には余計カンに障ったようだった。

そんなTはピアノ教師そっちのけで、巷に流れるヒット曲やアニメの主題歌、コマーシャルソング等をよく右手だけでなぞって弾いては歌っていた。

Tにとっては鍵盤はほんとに悪くないおもちゃであった。



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第一章
田舎街の変わった子

1962年Tが五歳に成り幼稚園に入園した年Tに弟ができた。

Tは今まで総ての中心であった存在から、兄としての自覚を持たされる扱いを受けるようになり、その反発も見せ、周囲からわがままとも取られる存在になっていった。



そんなTにとって最も大きな出来事はテレビの存在であった。

オリンピックを翌年に控えた1963年、六歳になったTの家にも遂にテレビがやってきた。

それは、Tの生活を一変させるものであった。

その一方的に情報を垂れ流す魔法の箱の前に座りTは何時間もテレビを見ていた。

朝起きて幼稚園に行く前、まず子供番組をみる。


幼稚園からかえってくると又すぐテレビの前に座り込み祖母のテレビに付き合う。

当時はちょうど鉄腕アトムが公開され、それを追うように狼少年ケン、鉄人28号、等の子供向けアニメが放映され日本中の子供達が熱狂した。

今まで絵本に夢中だったTは子供番組から大人のドラマ迄、のべつまくなしテレビに見いるテレビっ子になっていった。


その頃テレビで放送されていた「ザ・ヒットパレード」そして当時バケーションのヒットで人気のあった弘田三枝子の「ハイステップミコちゃん」などの音楽番組は当時の洋楽のヒット曲を日本人の歌手が歌い、ポップスと言う外国の音楽を抵抗無くTの身体に染み込ませと行く事となった。

幼稚園時代のTは協調性がなく、はしゃぎ過ぎる性格であった。

そんなTの性格はヒステリックな園長の娘である保育士に目の仇にされ、理不尽な怒られ方に、しょっちゅう泣きながら幼稚園から逃亡を繰り返す園児となっていった。


1964年小学校に入学、この年には東京オリンピックが開催され、世界一速い新幹線が運行、日本人はやっと敗戦コンプレックスから開放され。
日本国民総てが脱アジア、エセ先進国の勘違い的発展に酔い始めた瞬間でもあった。

総ての日本人が浮かれていたこの時期アメリカはベトナム戦争の黒い息吹を芽生えさせていた。

そんな1964年、全米ヒットチャートを賑わしたのは、まさにビートルズとロックミュージックの台頭だった。

ビートルズはトップ10中、実に四曲もランクイン、他にもアニマルズやビーチボーイズなどがランクインを果たしている。

又ボブ・ディランが「風に吹かれて」「悲惨な戦争」をヒットさせたのもこの年だった。



そんなROCKミュージックにとって革命的時に、幼きTは忍者部隊月光に夢中になり、買って貰ったコスプレセットで背中に刀を背負って街を走り廻っていた。



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第一章 田舎町の変った子




1963年頃から、Tの記憶が鮮明になりだす。

この時期世界はキューバ危機勃発、一触即発の危機を迎え凍りつくが、地球の裏側の日本人はどこ吹く風、働きアリが一丸となり大きな変革の年を迎えようとしていた。。

まずなによりも大きかったのは、次の年1964年にオリンピックを控えていたと言う事だろう。

日本社会全体がこのオリンピックをきっかけに、日本と言う敗戦国を一挙に文化、経済両面で先進国の仲間入りを果たそう、そして欧米諸国と対等に渡りあおうとやっきになっていた。


無残にもしかし一切の躊躇無しに野山を切り崩し新幹線整備工事は進み、東京の都心の町並みも大きなくかえた。

そしてその性急な変化は日本人のメンタリティーを根底から覆すようにまでなって行く。
化面で先ずなによりも大きかったのはこの時期オリンピックを前に一般家庭にテレビが普及した事であろう。


当日かなり庶民化してきたテレビではあったが、それでも、まだまだ高価な買物であり、今だったら大型ハイビジョンプラズマテレビを買うようなものだったのかも。


まあそんな高価な買い物も、敗戦国民である日本人がその復興の狼煙を上げる国家を揚げての一大イベントの応援をする為ならと国民全員が清水の舞台から跳び降りるつもりでこぞってテレビを購入した。

この年、幼稚園の年長になったTの家がテレビを買ったのもこの年だった。

中学の教員をしていたTの父親は陸上部の顧問をしている心底の陸上マニアであり、そんなTの父親がオリンピックに夢中にならない訳も無く、当然オリンピックの応援アイテムとして買われたテレビであったが、このテレビの購入がTの人格を作るのに多大な影響を与えた事は紛れも無い事実であった。

このテレビなるパンドラの箱、もうTにとっては飛んでもない宝箱になってしまった。

ちょうど一年前、1962年にはすでにテレビ界は続々とアメリカのファミリードラマの名作を続々と放送し始めていた。
ミスター・エド/お馬のエドくん Mr. Ed (フジテレビ、10月22日〜1964年4月13日)
これ好きだったな!!うまがしゃべるんですよ!!
とにかく面白かった!!

コンバット! Combat! (TBS、11月7日〜1967年9月27日) 
あの時代物凄く流行ってました。


 じゃじゃ馬億万長者 The Beverly Hillbillies (日本テレビ、12月11日〜1963年8月13日)
これはホントに好きでした!!
今でも大好きです!!

ドラマ ジャングル・パトロール The Everglades (日本テレビ)
カッコよかったですよ!!
割とマイナーですがTにとってはヒーローでした。


ルート66 Route 66 (NHK、4月〜)
アメリカの若者って感じのドラマ、車以外あんまり覚えてません!!


そして19673年には
宙家族 The Jetsons(1月〜)
これって最高でしたよ!!


ちびっこ大将 The Mischief Makers (4月〜)
これ、ちびっ子ギャングとは違うのかな?

ルーシー・ショー The Lucy Show (TBS、5月〜)
ホントにアメリカの笑いでした。


ドラマ 3ばか大将 The Three stoogers (6月〜)
ホントにこれは好きでした!!
主人公が幾分、フリークス気味なんですよ!!



ヒチコック・サスペンス The Alfred Hitchkock Hour(KTV、6月〜)
みんなが知ってるヒッチコック劇場ですよ!!

名犬ロンドン物語 The Littlest Hobo (10月〜)
ラッシーだけじゃないんですよ!!
なかなか良いドラマでしたよ!!

そして残念ながら見ることがなかったんですがエド・サリバン・ショー The Ed Sullivan Show (日本テレビ) なんてやってたみたいですね!!

歌物は、僕はまだ幼児だったのでミッチと歌おう Sing Along with Mitch Miller (NHK、4月〜) なんか見てましたね
ミッチミラー合唱団の番組です!!

そんな訳でテレビが日本の家庭に入ったとたんにアメリカ文化が一気に日本の巷に流れ込んできました!!
今までアメリカなんて、ましてや外国なんてたいして知ることもなかった日本人家庭に画面を通してアメリカの生活が流れ込んでくる。
完全なテレビっ子のTにとっては、全ての価値観はこの四角い箱の中から飛び出してくるものが全てでした。


そしてTに何よりも大きな影響を与えたのは、宇宙中継で届けられたケネディー大統領の暗殺場面だった。








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Rock Loves Me Forever
第一章
田舎街の変わった子



Tは1957年八月十一日の朝七時頃この世界に産声を挙げた。


Tは病院ではなく、その生家で産婆の手によりこの世に引き出された。


Tの生家は駅前にある小高い丘の中腹にあった。

元々この家は地元の大きな材木商の大旦那が自らの隠居所として建てた家で、まるで時代劇によく出て来る町道場のような門を構え、周囲を垣根と塀で囲み外界から遮断し独特の空気に包まれていた。

そのせいかこの家は後に近所の女子高の寮となり、その後Tの祖父が借り受けTの一族が住む事となる。


Tはそんな外界を阻むような空間で、人見知りする事もなく、寧ろ人懐っこい赤ん坊として育つのであった。

Tには、余り幼稚園に上がる前の記憶はない。


父親が写真愛好家であったので、その写真の中で色々な大人たちに遊んで貰っている自分の姿を、良く自分の記憶と勘違いする事がある!!


時代は日米安保条約批准に向け混迷の色を濃くしていく!!

そんな緊迫した時代背景はTの田舎には何の影響もなく、まるで他の国の事柄のように時間が過ぎていった。

しかしそんなTの幼児期に一度だけ大きな影を落とす出来事が在った。

1960年安保反対運動にて、全学連・ブント女性活動家,東大文学部3年、樺美智子が死亡する事件が起こった。

これを聞いたTはなぜかかわいそうだと泣いたそうです。

これはTの両親特に母親に強い感銘を与えたようです。

これが後のTの反権力につながったのかどうかは定かではないがT自身が持つもっとも最古の記憶となるような気がする。

そして、この出来事が潜在的にTの人格形成に大きな影響を与えたとしても何の不思議もなかった事を此処に述べよう。



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Rock Loves Me Forever
第一章
田舎街の変わった子



Tが生まれた1957年はこれから日本が変わろうとする、そんな時代であった。

海外では、戦場にかける橋がアカデミー賞をとり、名作昼下がりの情事、十二人の怒れる男達、OK牧場の決闘、フェリーニの道、そしてプレスリーの監獄Rockが公開された年である。

Rock的見地では、THE BEATLESがクォーリーメンとして結成された年で、数々のルーツRockの名曲がヒットした年である。

映画の主題歌として大ヒットをしたエルビスプレスリーの監獄Rock

ポールアンカのダイアナ
サムクックのYou Send Me
バディーホリーのペギースー
チャックベリーのROCK'N'-ROLL MUSIC

など数々の名曲が生まれた年で、他にスージーQやCC RIDERなどの名曲もこの年のヒット曲であった。

まさに1957年は今までR&Bと呼ばれていた音楽の中から、ROCK'N'-ROLLがそしてRockが生まれ始めた年であった。

日本でもロカビリーが流行り、日本コカコーラがコーラを売り出したのも1957年の事であった。


世界はまさに米ソをあげての宇宙時代の幕開けとなる、1957年ソ連がいち早く初の人工衛星スプートニク一号の打ち上げに成功、これによりソ連はアメリカの先を越し宇宙に先陣を切る事となる。

日本では東海村に日本初の原子力の火が灯り、やっと売春防止法を制定、東京タワーを作り始め、国連にも加盟しまさに近代化に向けて敗戦国の屈辱感から立ち上がり、再び先進国の一角を狙い始めた年であったのだろう。


しかしこれが一端、庶民の生活となると、近代化とはまだまだほど遠いもので、日本人の生活は世界の極東でまだまだ貧しかった。
しかし人々はのびのび、ほがらかに雄々しく生きていた時代であった。




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